『Philosophy of Science』読書会 2024-07-02
今回の範囲
ch. 9: Theory Construction vs. Model Building
A Case Study: Darwin’s Theory of Natural Selection
Models and Theories in Evolutionary Biology
引き続き 第9章
読書メモ
ダーウィンによる一般的な理論の説明
1. 指数関数的な個体数の増大
2. 有限のキャパ
3. 競争
4. 適応度の多様性と遺伝性
5. 最適な変異体への選好
6. 適応進化
ここで観察 (1, 2, 4) を公理とする。
あとの (3, 5, 6) は定理。
核心
変異は盲目もとい無目的である。
ダーウィンは自然環境の はたらきを自然選択というメタファーで たとえた。 しかし これは 不適当である。
能動的でない ただのフィルター
じゃあ英語も自然淘汰で良かったのでは? wint.icon たとえば natural weeding-out, natural exclusion など。
ダーウィンは法則として出さなかった。
事例
捕食圧の均衡
雌雄比の均衡
進化のモデルは領域ごとに いくつか ある。
無性生殖 vs 有性生殖
遺伝子 vs 個体
など
一般論を作ると抽象的すぎる。
semantic view
別のモチベーション
PNS を定義だと できること?wint.icon
abbr. PNS
スペンサーからの批判
fitter than の意味とは
進次郎構文では?トートロジー
wint.icon つまり安直な認識論的還元がダメ。
法則か定義か
あるいは fitness を未定義のままに する。
これも不満
wint.icon これも本質主義の帰属の誤謬か? cf. 能力 Darwinism進化論はモデルのあつまりだ という見かた
進化は地球上に限らない。
利点ここまで?
semantic approach に残る問題
モデルのあつまり以上のはず。
説明が必要。
vs 公理的方法論
疑問 wint.icon
なんで semantics approach/accounting だと、複数 model の立場で良いんだっけ?なんで fitness を還元して いいんだっけ?
なんで model だと説明に なってない んだっけ?
てか そもそも 説明って なんだっけ?
theory は model だったっけ? axiom だったっけ?
───
議論のログ
opening
by Aketo
立場 2つ
theory(事実、経験)と model
スタンス
優劣は ない だろう。
進化生物学も model
比較?
theory: 反省的な命名
なるべく現実を記述できて説明できるモノ?
科学者は model だけで良いと思ってそう。
背景
非線形、創発、複雑性
極限の方が解きやすい系もあり
統計力学、熱力学
確率モデルは正しい記述ではない
モデル
大胆な単純化が よくある。
強い vs 弱い
each one then
wint
立場: model だけで良いんじゃない?
でも反実在論だな。
説明にはコミットメントしてないよね?
しん
抽象度の spectrum では?
theory vs model: abstract vs concrete
e.g. PNS は theory でもあり、抽象度の高い model では?
model が現実に漸近しても実在は消せないのでは?
Aketo
真なる強い経験論は ありえるのか?
sense data は あるが、これは文には ならない。
演繹されず、理論に ならない。
生の経験
言葉が ゆえに、体験が分化されてしまって、アクセスできない。
theory の model 性、 model の理論性
まとめ と 感想
wint
家族的に類似した model が ある、というだけでは不満だろう。
それらを超えたモノやメタなモノを語る、これは theory 的なモチベでは?
↑「説明にコミットメントしてない」とは、このことでは?
しん
濃淡というよりアスペクトなのでは?
theory も model も切り口では?
cf. 集合論「理論はモデルの集まり」
ならメタなモノらは?入れ替わり
Aketo
theory(という方法論の)の成功体験
歴史があった。
限界が見えてきた。
e.g. 量子力学
ニュートン力学の適用限界
実は限界ではない。
theory
やっぱり普遍主義
hardcore を守った。
model(方法論、立場)
自らの部分的な適用範囲についてはドライに見てる。
それゆえに柔軟に説明・予測できてる。
質問と事例
ミクロ経済学は model だろう。
物理学のセンスからしたら、選好の順序は明かにモデルである。
Aketo
経験主義 vs 合理主義の 再演か
科学の舞台
弱まった経験主義 vs 弱まった合理主義
哲学の揺り戻し
論理実証主義の極端
言語というモノ
中庸が難しいのでは
科学哲学
哲学のムーブメント見える?
科学以外にも gradation を持ち込めるか
哲学の ideology に気付けるか
言語
「赤い」の分析
そもそも色はグラデーションのはず
あつかいづらさ
さらなる感想
やはり言語は切り分けるモノだな。